沿革
昭和35年 5月(1960)
西銀座読売新聞旧本社並びに鮨と一品料理 “魚がし直営福助” を開店、飲食店経営の第一歩を踏み出した。
直ちに会社組織とし有限会社福助を設立。開店と同時に新規顧客の開拓、料理店経営の企業化、日本料理の近代化および出張料理、模擬店料理の積極的研究と実践に着手。
昭和38年 5月(1963)
東京ヒルトンホテルの開業と同時に、同ホテル内における宴会和食部門の提供指定店となる。
昭和39年 9月(1964)
ホテルニューオータニ開業と同時に “天ぷらほり川” を開店。引き続いてホテル内の和食部門の調理販売権を併せて獲得し、同ホテルにおける模擬店、出張料理提供の指定を受ける。
昭和40年 4月(1965)
ホテルオークラ(高輪関東閣、東京証券会館を含む)宴会和食部門の料理提供指定店となる。
昭和40年11月
事務機構の増大と人員の増加に伴い、本社事務所を中央区新富町から中央区八丁堀3-18-6富士ビルに移す。
昭和40年12月
ホテルニューオータニ地下1階アーケードに “和風料理ほり川” を開店。
昭和41年 9月(1966)
親会社にあたる佃堅水産株式会社設立50周年記念事業として、数寄屋橋東芝ビル内に “魚がし料理福助” “寿司福助” の2店舗を同時開店。
昭和42年11月(1967)
新宿西口小田急百貨店本館10階スカイタウンに “寿司福助” を開店。
昭和44年 2月(1969)
数寄屋橋東芝ビル地下2階に、さらにカウンター50メートル(客席70)の “寿司福助” を開店。先に開店した “寿司福助” (客席31)と併せて客席101のマンモス “お寿司の殿堂” が完成。
昭和45年 6月(1970)
有限会社から株式会社に組織変更。
昭和46年 3月(1971)
米国カリフォルニア州ロスアンゼルス市リトルトーキョーに、総面積1,000平方メートルの大型高級日本料理店 “レストランほり川” を開店。海外進出の第一歩を踏み出す。
昭和46年11月
池袋西口東武百貨店13階(エア・キャッスル)に “寿司福助” を開店。
昭和47年 3月(1972)
銀座松屋8階、味の小路内に “寿司福助” を開店。
昭和48年10月(1973)
常磐線柏駅前そごうデパート地下1階に “寿司福助” を開店。
昭和49年 4月(1974)
米国カリフォルニア州サンタアナに総面積825平方メートルの高級日本料理店 “レストランほり川” サンタアナ店を開店。
昭和49年 4月
ホテルニューオータニ地下1階アーケード “和風料理ほり川” を倍に拡張、お座敷席(6畳、8畳、12畳)を新設し新装スタート。
“日本料理ほり川” に改称。
昭和51年 6月(1976)
“寿司福助” 本店を “鮨ほり川” に再度改称。
昭和51年11月
数寄屋橋東芝ビル地下2階 “天ぷら福助” 店内の大改装を行い、改装を機に “すたんど天婦羅ほり川” と改称する。
昭和52年11月(1977)
1,600万円を増資し、資本金6,400万円となる。
昭和53年 9月(1978)
ホテルニューオータニ地下1階 “日本料理ほり川” 店内の大改装を行う。
昭和53年10月
JR新橋駅東口新地下街に “寿司福助” を開店。
昭和54年 7月(1979)
本社を東京都中央区築地1-8-13に移す。
昭和54年 9月
営団地下鉄赤坂見附駅上ベルビー赤坂に “寿司福助” (7階)と “日本料理ほり川” (8階)を開店。
昭和55年 3月(1980)
築地本社ビル1階に “寿司福助” を開店。
昭和55年 3月
銀座松屋8階に “寿司福助”を開店。(松屋8階全面改装に伴い “寿司福助” “鮨ほり川” を閉店)
昭和55年 4月
数寄屋橋東芝ビル地下2階 “魚がし料理福助” を全面改装。
昭和55年10月
数寄屋橋東芝ビル地下2階 “寿司福助” を全面改装。客席は日本最大規模の137席。
昭和55年11月
数寄屋橋東芝ビル地下2階 “すたんど天婦羅ほり川” の店内改装を行い、改装を機に “天ぷらほり川” に改称。
昭和56年 2月(1981)
ホテルニューオータニアーケード階(本館地下1階)の全面改装に伴い “日本料理ほり川” を移設。
昭和56年10月
当社100%出資子会社(株)大森福助設立(資本金300万円)
同時にJR大森駅東口駅前に “寿司福助” 大森店を開店。
昭和57年 9月(1982)
ホテルニューオータニ本館2階 “天婦羅ほり川” の店内大改装を行う。
昭和58年 2月(1983)
新宿小田急日百貨店スカイタウン10階 “寿司福助” の店内大改装を行う。
昭和58年 8月
米国サンタアナ “レストランほり川” の全面改装を行い、合計約1,000平方メートルの同地区でも最大規模の本格的な高級日本料理店となる。
昭和58年12月
米国ロスアンゼルス “レストランほり川” に新たにお座敷5室の “料亭ほり川” を増設。合計1,300平方メートルの超大型レストランとして、昨今の日本食ブームの中にあって、高級差別化の方向をはっきりとさせた。
昭和60年 5月(1985)
JR新橋駅東口新地下街 “寿司福助” を全面改装。
昭和60年 6月
池袋ホテルメトロポリタン地下1階に “鮨ほり川” を開店。
昭和60年11月
郊外型レストランのモデル店として埼玉県春日部市のロビンソン百貨店7階に、割烹・天婦羅の店 “日本料理赤坂ほり川” を開店。
同時に当社の子会社(株)春日部福助(資本金1,000万円)を設立し、ロビンソン百貨店7階に “寿司福助” を開店。
昭和61年 6月(1986)
“天婦羅ほり川 “東芝店を改装し “魚がし料理福助別館” として開店。
昭和62年 3月(1987)
JR大宮駅西口大宮そごう9階レストラン街に “鮨ほり川” と、地下1階にテイクアウト専門の “寿司福助” を開店。
昭和62年11月
銀座2丁目 “鮨ほり川” 本店を全面改装。
昭和63年 3月(1988)
JR川崎駅前ルフロン10階に “寿司福助” を開店。京浜地区に初の進出。
平成元年11月(1989)
営団地下鉄赤坂見附駅上ベルビー赤坂 “寿司福助” を全面改装。 “鮨処福助” に改称。
平成 2年 5月(1990)
築地本社ビル1階 “寿司福助” を全面改装。 “鮨処福助” に改称。
平成 2年 8月
池袋東武百貨店飲食街の改装により13階から12階へ移転拡張、 “鮨処福助” に改称。
飲食街も “エアキャッスル” から “スパイス”に改称。
平成 3年11月(1991)
数寄屋橋銀座東芝ビル地下2階店舗を改装。 “鮨処福助 本館・別館” “魚がし料理福助” と改称。
平成 4年 3月(1992)
芝パークホテル別棟1階に “鮨ほり川” 、地下1階に “天婦羅ほり川” を開店。
平成 4年 5月
新宿小田急百貨店10階スカイタウンの改装を機会に12階に移転拡張し “鮨処福助” を開店。
飲食街も “スカイタウン” から “マンハッタンヒルズ” に改称。
平成 4年 6月
当社子会社(株)柚木福助(資本金1,000万円)を設立し、柚木そごう5階に “寿司福助” を開店。
平成 4年 9月
池袋ホテルメトロポリタン地下1階 “鮨処ほり川” を真向かいに移転し増床。
平成 5年 4月(1993)
池袋ホテルメトロポリタン地下1階に “さかなほり川” を開店。
平成 5年 4月
大宮そごう地下1階テイクアウト専門 “寿司福助” を閉店。
平成 5年 5月
柏そごう地下1階 “寿司福助” を閉店。
平成 6年 5月(1994)
(株)柚木福助 柚木そごう “寿司福助” を閉店。
平成 7年 3月(1995)
(株)大森福助 “寿司福助” を閉店。
平成 7年 9月
ホテルオークラにおける出張宴会(寿司)の提供指定を受ける。
同時に本社ビル2階の厨房をホテルオークラ受注専用の設備に改修。
平成7年11月
米国サンタアナの “レストランほり川” を閉店。
平成 8年 5月(1996)
本社ビル2階にホテルオークラ出張宴会受注専門部署 “鮨ほり川本部” を設置。
平成 8年 9月
JR新橋駅東口地下街 “寿司福助” を全面改装。
平成 8年 9月
(株)春日部福助の2号店を、春日部駅西口に開店。
平成 9年 4月(1997)
米国ロスアンゼルスの “レストランほり川” を閉店。
平成10年 2月(1998)
春日部ロビンソン百貨店7階 “日本料理赤坂ほり川” を閉店。
平成10年 3月
(株)春日部福助の3号店を、東武線新越谷駅ビル ヴァリエ4階に開店。
平成10年 4月
新宿駅南口 小田急ホテル センチュリーサザンタワー19階に “四季の味ほり川” を開店。日本料理、鉄板焼、鮨処を併せもった国内初の和食の複合店として展開。席数は155席。
平成11年 3月(1999)
JR川崎駅前ルフロン10階 “寿司福助” を全面改装。
平成12年 5月(2000)
芝パークハウスホテル別棟1階 “鮨ほり川” 地下1階 “天婦羅ほり川” を閉店。
赤坂見附ベルビー赤坂 “日本料理ほり川” を閉店。
平成12年 7月
赤坂見附ベルビー赤坂 “鮨処福助” を閉店。
平成12年 9月
数寄屋橋銀座東芝ビル地下2階 “鮨処福助本店・別館” “魚がし料理福助” を全面改装。
改装を機に “鮨処福助本店・アネックス” “味季(あじごよみ)ほり川” に改称。
平成14年 5月(2002)
銀座2丁目 “鮨ほり川” 本店を閉店。
JR川崎駅前ルフロン10階 “寿司福助” を閉店。
平成14年 6月
高島屋横浜店8階ローズダイニングに “鮨処福助” を開店。
平成14年 7月
池袋東武百貨店12階 “鮨処福助” を全面改装。
平成15年 2月(2003)
JR新橋駅東口地下街 “寿司福助” を全面改装。鮨処福助” に改称。
地下街も3月より “京急しんちか” から “ウイング新橋” に改称。
平成15年 5月
そごう大宮店9階レストラン街 “鮨ほり川” を閉店。
平成17年 1月(2005)
銀座松屋8階レストランシティ “寿司福助” を閉店。
平成18年 5月(2006)
そごう千葉店10階ダイニングパークに “鮨処福助” を開店。
平成18年 8月
(株)春日部福助 春日部西口 “鮨処福助” を閉店。
平成18年11月
新宿小田急百貨店12階 “鮨処福助” を全面改装。
平成19年10月(2007)
(株)春日部福助 春日部駅東口 “鮨処福助” を開店。
平成20年 4月(2008)
日本橋三越本店7階特別食堂「日本橋」内に “鮨ほり川” を開店。
平成20年11月
銀座TSビル(旧銀座東芝ビル)地下2階 “味季ほり川” を寿司に業態変更。
“鮨処福助 本店” と合併。
平成21年 3月(2009)
銀座TSビル(旧銀座東芝ビル)地下2階 “味季ほり川” を閉店。
平成21年 7月
池袋サンシャイン60 59階に “鮨処福助” を開店。
平成21年12月
銀座TSビル(旧銀座東芝ビル)地下2階 “鮨処福助 本店・アネックス” を閉店。
平成22年 4月(2010)
銀座トレシャス10階に “鮨処福助 本店” を開店。
平成23年 5月(2011)
池袋ホテルメトロポリタン地下1階 “さかなほり川” を閉店。
平成23年 8月
池袋メトロポリタン地下1階 “鮨ほり川” を元 “さかなほり川” の場所へ移転し、全面改装。
平成24年 6月(2012)
JR新橋駅東口地下街 “鮨処福助” を閉店。
平成24年 7月
大崎ニューシティ2階に “鮨処福助” を開店。
平成24年 7月
日本橋三越本店7階特別食堂「日本橋」内 “鮨ほり川” を閉店。
平成26年 6月(2014)
築地本社ビル1階 “鮨処福助” を休業。
平成28年 2月(2016)
池袋東武百貨店飲食街の改装を機会に12階 “鮨処福助” を移転拡張し、全面改装。
飲食街も “ダイニングシティ・スパイス” に改称。
平成28年 2月
西部春日部(旧 春日部ロビンソン)の(株)春日部福助 “寿司福助” を閉店。
平成28年10月
そごう千葉店10階ダイニングパーク “鮨処福助” を閉店。
平成29年 1月(2017)
(株)春日部福助 新越谷駅ビル ヴァリエ4階 “寿司福助” を閉店。
平成31年 2月(2019)
ホテルニューオータニ本館アーケード階“日本料理ほり川” を閉店。
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